礼拝説教要旨2026年9月
2026年9月6日
「洗礼を受けて、キリストに結ばれたあなたがた
は皆、キリストを着ているからです。」
(ガラテヤの信徒への手紙3章27節)
“あなた方は信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです”(26節)と告げた後、パウロは直ちにその神の子たる“しるし”として“洗礼を受けたあなた方はキリストを着た者なのだ”と語ります。“キリストを着る”とは不思議な表現ですが、通常の衣服の様に自分の都合で着たり脱いだり出来ると言うのではありません。キリストへの信仰を言い表し洗礼に与ったその時から、私達は目に見えないキリストの義の衣を生涯着続けると言う事です。この衣の特徴はこれを着る私達がこの衣に合わせて神の子として相応しく変化させられて行く点です。私達が衣に馴染んで神の子らしく変えられて行くのであって、その逆ではないのです。神は御子キリストの十字架の死と甦りの恵みによって私達に永遠の救いを約束下さいました。その恵みによって神の子とされた私達が相続する神の国の富の豊かさに見合う姿へと私達は信仰により変えられてゆくのです。
牧師 桑原睦彦

2026年9月13日
「…“アブラハムは神を信じた。それは彼の義と認
められた”と言われているとおりです。」
(ガラテヤの信徒への手紙3章6節より)
パウロは“ああ、物分かりの悪い、ガラテヤの人たち、誰があなたがたを惑わしたのか”(1節)と嘆きました。信仰の事柄については実は誰しも物分かりが悪いのです。私達が聴くのは“神の言葉”であり信仰は私達の中には無い、その意味で異質なものだからです。“福音を聴いて信じ”なければ信仰は与えられません。“聖霊によらなければイエスは主であると誰にも言えない”(Ⅰコリント12:3)のです。福音は私共を愛し救う為に御子キリストを世に遣わされた神の恵み(御好意)を告げ知らせますが、これを聴いて信じ受け容れるには聖霊のお働きが不可欠です。神の恵みを信じ受け容れる処から始まり完成に至るのが信仰ですが、その信仰それ自体が聖霊の賜物です。アブラハムの信仰も彼の中から出たものではなく、神が与え給うた賜物でした。その信仰の特徴は御旨をハイと言って信じ従う処にありました。私達も目指すべき処です。 (藤枝教会主日礼拝説教より)牧師 桑原睦彦
2026年9月20日
「ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子で
す。子であれば、神に立てられた相続人でもある
のです。」 (ガラテヤの信徒への手紙4章7節)
“子であれば相続人である”世の法律が子が親の遺産を相続する権利を認めている様に、神の国の富(罪の赦し、永遠の命等)も神の子達が受け継ぎ相続するのだとパウロは教えます。当時の古代ローマ社会でも、遺産相続の手続きは相続人たる子が未成年の間は後見人や管理者が立てられ、その管理下に置かれました。子が成人してから初めて相続が実行されたのです。それに似て神の国の富も人間達が諸々の霊力(偶像礼拝)に縛られ、律法の呪いの下に閉じ込められていた間には相続も無く罪に縛られていましたが、時満ちるに及び御子が人と成り十字架の死を遂げ復活されてからは恵みにより私達も神の子とされ、御国の相続者ともなりました。なお未熟で弱く欠け多い私達であっても御子の霊を授かり、神を我らの父よとお呼びする信仰に導かれるなら1人前の大人として神の子たる者の特権(相続)に与る事を許されます。 牧師 桑原睦彦
2026年9月27日
「…あなた方のことが心配です。」
(ガラテヤの信徒への手紙4章11節より)
パウロはガラテヤの信仰者達の事が心配でなりませんでした。“ユダヤ主義者”の律法主義的な言説にすっかり惑わされ、信仰が大きく揺らいでいたからです。手紙の中でも屡々感情がストレートに表わされていますが、ここでも心配の余り“途方にくれ”ながら(20節)切々と訴えるのは“折角世を支配する諸霊から解放され自由な神の子にされたのに、改めて奴隷に逆戻りするつもりなのか”という事でした。御子キリストの十字架による贖いを通じ、諸々の霊力からも律法の呪いからも自由にされ神を父とお呼びし得る恵みを授けられたのに、その特権をむざむざ放棄してしまえば再び以前の様な神ならぬ神々に隷属するのは目に見えておりました。神は全てを御存じの上で、キリストの故に罪を赦し給い救いの恵みを一方的に無条件にお与え下さったのです。救いに与る前と今とで最大の違いは“神に全てを知られている”ことを恵みとして知り、悟った事でありました。その祝福を手放してはなりません。 牧師 桑原睦彦

2026年5月31日
「キリストは、わたしたちの神であり父である
方の御心に従い、…御自身をわたしたちの罪のた
めに献げてくださったのです。」
(ガラテヤの信徒への手紙1章4節より)
パウロはかつて福音を伝道し設立されたガラテヤ地方の諸教会が、異なる福音(異端の教え)に惑わされ信仰を崩しかけていると聞き、急いで手紙を書きました。普通手紙の書き出しは、相手の安否を尋ね思いやり穏やかに書き始めますが、パウロは挨拶もそこそこに急いで本題に入ります。主に在る恵みと平和を祈りつつもすぐさま福音を語り始めます。一刻も早く本物の福音に立ち帰り信仰を取り戻してもらいたかったからでした。冒頭の御言葉はイエス・キリストは私達を悪の世から救い出す為に私達を罪から贖う十字架の死を遂げて下さった事、それは父なる神の御心に従順に従う事により実行された事を告げています。この福音に与ってキリストに救われた者達はこの世の悪と闘い罪を憎みますが、他者・隣人は愛します。その救いを願い福音を伝え執り成し祈り続けます。キリストの愛がその様に促すからです。
牧師 桑原睦彦